エンタングルメントosugi3yのブログ

14年勤めた企業をやめました。映画「時の行路」尾道市実行委員

シン・すべてがNになる〜大西つねきYouTube文字起こし【下】〜

・前回からの続き、問題となった動画で何を言っていたのか。

osugi3y.hatenablog.com

 ↑前回まで→続き 

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都知事選終わってからーあのーいろんな発信とかぁいろんなその情報収集はさらにしていきたいとは思うんですけど、これ結構だからあのーまあ今日はその話しませんけれどもあのーほんとにおっきくぅえー日本だけじゃなくてぇ人類と言っていいのかなあたぶんあり方とかあ根本的に変える可能性があるくらいのぉおっきなインパクトがあると思うんですよねいろんな意味で、で我々自身の生き方とか死に方っていうことに対してえー大きなこうあのー考えるきっかけを与える与えるもの、だからまさに今こそがあのーこの哲学の時代で、になると思うんんですよ。生き方死に方をもう一度我々は考えなおすっていう、ね。

 だからそのことについては、まぁ特に都知事選終わった後にですねあのーまあ話をしていきたいというふうに思いますけどぉまあちょっとそれは置いといたとしても学校教育に関しては、まいろいろたぶん疑問を持たれてる方も多いと思うんですね、あのーそもそもその何を教えるか以前にどうあるかっていうこと、その生徒たちをどう、、どう扱うか、って言葉はやだな、えーどういうふうにあのーあつ、まあ扱うって、ね言葉はやですけどおえーどういう状態にするかどうあれせるか、とかっていうことですね。それに関してもすごくなんか画一的だったりとかぁえーまあ秩序、を重んじすぎたりとかぁ、なんか秩序とか僕はぁはっきり言っていらないもんだと思ってるんですよぉ。あの秩序〜秩序ってなんだろうなぁ誰の都合なのって感じですね、えーなあ秩序って他の個人の権利をいかに侵害しないかってことだと思うんですね。社会の秩序まあ学校もそうだと思いますけど、それはあの秩序を保つ、保たなければならないという体制側の、あのー例えば先生とか学校とか、体制側の都合というよりもそこにいる構成員、学生だったらとか学生とか子供たちとか、社会の構成員えーその人たちが自分たちでーえーおそらくーあのーま公共の福祉に反しない限りってそう言うことですよね、あのーま他人の、えー人権を侵害しない限り自由であるっていうね。だからその人権、侵害された思う人がぁ異議申し立てをして自分たち同士で話し合えばいいそれが本来のあのーまあ自由主義社会だと思うんですけどぉそこにこう公権力だったりとか先生とかっていう権威がある人たちが入ってきて、秩序を保とうとするととてもおかしなことになりますね。

 

 なんでそういったそのーなんていうか自由民権教育みたいなものもたぶん学校の重要なパーツなんでしょうけどま、そんなこともなんかどちらかというと体制がこうあのーそういったことをまあ決めてゆうか、決めるというか、押し付けるようなそんな教育、学校教育になってるんでぇたぶん社会全体がこうなってるのもたぶんそこに原因がある、んじゃやあないかなあと。まあ今日はねえだからそういった話よりもぉそもそも教えてるその、何勉強の内容?とか勉強のやり方そのもの学びのやり方そのものそこがなんか本来の学びとは逆なんじゃないって話をしたかったのね、あのー本来の学びってのはおそらくですよ僕が考えるにぃ複雑性を学んでいくとかあえー正しい正しくないんだなんて実はないんだっていうことがだんだん学べば学ぶほどたぶん分かってくと思うんですよ、あのー例えばその歴史を学ぶといろんな争いがあったわけでしょ、戦争だったりとかなんとかそれぞれの論理があるわけですよね、それぞれのなんていうかなあ都合というか事情があってでこれどっちがいいとか悪いとかどっちが正しいとかえーなんかどっちが勝ったとかっていうのすら長い目でみたら違うのかもしれないしなんかすごく物事って複雑って勉強すれば勉強するほど複雑なことがわかるから、まああのーあんまり単純化してみないようになるっていうそれが本来の学びだと思うんですけどぉ、逆をやってる気がするんですよおすごく単純化するというね、だからすごくこういい悪いとか正しい正しくないっていうことを我々自身がまずは答えがあるんだと、そういうこう学校教育なんかでくると、答えを求める、ない答えを求め続けて、ない答えを求め続けてそれ、そこに時間を浪費して、でーそこでしかも人と、人の正しさとぶつかり合って労力を無駄にして、で結局その結果その正しいと思っていることは実現できるのかというと誰もできなかったりするわけですね。

 

 なんかそれって不毛じゃないってほんとにあのー思うのでぇなんかその原因を辿ってった時にぃ、そうだ学校教育あるんじゃないかなと思ったんでその話をしたかったんんですよぉ。

 

 なのでねあのー我々もう学校出てしまった大人がぁちょっとそういうあの、思い込みを捨てることがぁ最初なんじゃにかなというふうに思います。で、子供たちに何かをこう伝える時にもねえ、その複雑性を伝えてあげることって僕大事だと思うんですよ、何か聞かれた時にぃこうこうこういう見方もあるけどぉこうこうこういう見方もあるかもしれないしえーあのー単純じゃないよねこういう人もいるしこういう人もいるよねって結構割と我々言葉使いで割と単純な言葉使いするじゃないですか、何は何何だ、みたいな、ね。えーあれは正しいとかあいつはいいとかあいつがダメだとかぁあのぉねそ、そ、そんな単純なもんじゃないじゃないですかぁ、いい悪いじゃないしぃダメって、あ、まあ特に政治家とかは言われがちですよあのー言われてるから恨み言いってる訳じゃあなくてねえこれねえあのー例えばぁえっとまあ今のねと、東京都知事、小池さん仕事してない、っていうけど、全然してないわけじゃないわけですねえ、要するにあのー何を何が何をしてないっていうか何をしてほしくて何をしてないとかもうちょっと具体的でえもうちょっとなんでしょうそのあのーえーしっかりとえー意味のある言葉を使っていかないとなんかあいつ仕事してない、いや仕事してるよ、すごく不毛じゃないですか、なんかねえもうちょっと具体的、でえそのなんでしょうこう単純化せずに、ねあの複雑なことの中に入っていってえ、話をするとぉもうちょっとなんかこう冷静に話ができそうなものを結構割と単純化する傾向にあるのでぇえーと我々大人がそういうこう例えばこ、子供はそういう言葉使いするかもしれないですね、あのー例えばそうだなあえーえっとー何、なになにはあれはいいの?とかあれはダメなの?とかって結構子供とか聞いたりするじゃないですか、でーそこに、いいとかダメとか即座に答えるんではなくてぇ、いろんな見方を提供してあげるとぉ子供もちょっとずつそういうこう複雑な考え方いろんなみか、物の見方のえー考え方をするようになるとそれがまあ成長につながっていくんじゃないかなあというふうに思うのでぇなんか我々もその言葉の使い方、はほんとに大事だな、と、だ僕結構言葉言葉って言うじゃないですかぁ、でえそれはああの特に政治家なんかはあえっと言葉でコミュニケーションとることが多いですよねもう基本ほとんど言葉だと思いますよ、あもちろん行動ってあると思いますけどぉあのー行動と言葉ってのはそのいってることとやってることがままずはそのぉ齟齬がないっていうかズレないって言うのがたぶん一番肝心だと思うんですけどでー発する言葉に関してもあのーなんで僕が言葉って言うかというとどういう言葉を使うかによってえーっとどこまで物事をまあ深く考えているかとかあ、えーなるべくありのままにちらえようかとしているかとか、なるべく単純化しようとせずにあのーえーあの単純化するってのはありのままではないんですよね、世の中そんな単純なものではないんでありのままっていうのはいろんなそのぉ、なんでしょういろんなほんとにあのー白黒じゃなくて灰色の部分がどういうふうになってるかってことをあのーま知った上で言葉を選んでいくとあまりこうそんなにシンプルな言葉使いになっ、なってこないっていうかできないと思うんですよ、でーもちろんその街頭演説だったりとかぁそのーすごく短い中でぇ何かを伝えなきゃいけない時にはある程度乱暴な言い方をするのは確かです、じゃないとねえ、わかりにくいんでぇ、あんまりこう回りくどい話をしていてもぉだけどぉやっぱりーそのーその中でもーどういった言葉遣いをするかによってぇえーわかる人には、わかる人というか、感じる人には感じると思うんですよ、おーすごく単純な言い方をされた時にえ、それどういうことなのって思うこと皆さんありません?なんか割となんか、なんでしょうねうーんセイエンキョエンゼツのセーン政治の世界でその演説をしている政治家っていっぱいいて、その言葉を聞いていても、その言葉を聞いていてもなんか全然なんか上っ面の、で何も入ってこないような人と、そうじゃなくてぇえーもっとこう言葉が入ってくるってその違いはぁそういうおそらく言葉のチョイスというかぁあのーえーなにその、流れちゃうのはそのおそらくその表面的な単純化したえっとーその意味曖昧な言葉を使ってる、でー入ってくるっていうのはおそらくーそのー意味がクリアでぇえーしかも、もしその話を面白いとか聞きたいと思うってことはおそらくその内容がえー自分がー思わなかったこ、思っていたことーだけど言葉にできなかったことを言語化していったりとかぁ思わぬなんかそのーえーあのー切り口がぁ与えられたりっていうことがあるとぉ人の話って面白くなってくるじゃないですか。

 だからそういう違いってたぶんね聞いてる人はだんだん分かってくると思うんですよ、だあ結構ほんと政治家って言葉が大事だな、と思っていてそれによって、あのーその人がーどこまでー考えているかとかーえーどれだけの判断力を持ってるかってだんだん分かってくるのでーあのー言葉はある意味恐ろしいですそういった意味でいうとね、ううーんとごまかしが効かないとおうかぁ割といいますよね、あのー名前は上げませんがーなに、なにを、なに、なにを言ってるのかさっぱりなんとなく触りは、聞こえはいいけどなんか意味がない言葉を喋ってる人って結構いるじゃないですか、それはバレますね、そういうのはね、ま、ちょっと話ズレましたけどーでもそれもベースにその複雑性をーどれだけこう理解しているというかかというかぁいろんな可能性を見ているかによってえ言葉遣いってえ違ってくるのでえ、あのーそれが本来の学びだけどー逆やってるなあってのが正直なところですね。なんで学校教育ももちろん変えたいのももちろん山々なんですけどおまずはあのーそのためにはーえー大人の側が変わる方が早いと僕は思うんですよね。子供に、子供に期待する前に大人がやれって話でよくあのー子供ー若い人に期待って人いるんですけどあのー若い人に期待なんかしー若い人に期待しちゃダメですよ、大人が、はっ大人はまず自分がやんないとで、えー若い人がーそれを見て真似してくれればいいですし、まあそうじゃなくて勝手にやってくれても全然構わないんだけどーあのー一番かっこ悪い大人だと思いますね、若人に期待しちゃう人はえーもうもうもう上がりなのかていう感じですね、まだ何年生きるのかわかんないのにー期待する暇もなく若い人になんかとても期待、する暇もなく自分でやんなきゃいけないこといっぱいあるでしょって感じなんでぇまずは大人から、大人がその自分のこういろんなあのーなんでしょう言葉深いもそうだし物の見方をーちょっと違う見方もあるかも知んないなーと思いながらーうーんなんか自分の考えは自分の考えでぜんぜんいいんですよ持っててもう、もうこれは絶対、絶対、なんてかな、なんだろうえーと自分はこれを信じてこうするんだでもそれ自分だけのもんだから僕の中で自分はありますよ自分の本当に自分の揺るぎない考えって言うかあ自分の信じてることってありますけどーそれは自分が信じいてることであってー人が信じなきゃいけないってことはぜんぜん違うんでしゅよ、あのー自分の考えはいくら強固に持っててもぜんぜん構わないけどぉ、まああのー、人がそうしなきゃいけないそう考えなきゃいけないてのはぜんぜん違う話で、でもそれが割とやりがちっていうか、やら、やらせ、やられがちというか、あのーうんなんかそこらへんのとこかな結構課題は、まあその原因が学校教育にあるんじゃないの?みたいな、ね、あのーそんな話を今日したくて、もう30分くらい喋ったんで脳いいかなって思ってんすけどそこらへんの話はね、・・・・・・うん、あ、そうね言葉にするかしないかもありますよねって、そのとうりですね本当に、あえて言葉にする、しないってのもあるかもしれない、うん、うん学びはほんと生涯ですね、もう死ぬまで学びですよ、だって死ぬまでーより良い自分になりたいじゃないですか、ね、あのーそらたぶんみんなある思うんですよだってえー死ぬまでより良い自分になりたいじゃないですかぁ、ね、あのーそらあたぶんみんなあると思うんですよ、そ向上心てでそのより良い自分てなんなのかっていうのも〜なんすかねーそん時によって変わるかもしれないですね、えー僕が若い頃のより良い自分ってもうちょっとなんかすごく浅かったような気がするし、なんか能力をね高めるとかあなにができるようになるとかっていうことぁあのー自分を高めることだと思っていた時代もあります、で、もちろん今だってえやれることはどんどん増えた方がい、い、いいと思ってるからそれはそのおそれが増えるといろんな可能性が広がっていったりとかあそれを使ってえ誰かになにかあできるかもしれないしっていうだけの話でそれはあるんですけどそうなることがえー成長ではないかもしれないていうか、まあいいんですなんでもその時々の自分の価値観によって自分がなりたい自分に近づいていければいいわけでしょう、それはもう常にあるんだ思いますよ、死ぬギリギリの瞬間までね、うん、じゃないと生きててつまんないと思うしぃ、生涯学びだと思いますけどねぇ。

 

 学校の時間が長すぎて、ああ子供あ、子供が忙しすぎるってのはありますよねぇそれは一つそのーなんでしょうこれーはこどーもー、子供だけの問題ではなくて親の問題もたぶんあると思うんですけどーそのー学校そのものは時間はそうでもないのにー塾だったりとかあまあいろんな習い事がぁこう加算されていきますよねえでーそれも結構、親ぁ親心ってか親のなんていうかそのーまあエゴじゃないけど親のこう心配っていうかねやっぱりこの社会この経済の中にいるとやっぱり競争競争競争でいかに競争に勝っていくかってことがぁ良い人生につながっていくっていうそういうこう思い込みが強いじゃないですかやっぱりね、で事実そういう部分が本当にあるんですよ、あのーやっぱりぃその競争に勝った人がより良いこう条件でぇこう働けたりとかあえーでその中でぇ我が子を思う気持ちが今のうちになんかこういろいろやらしといたらいろんな可能性がひらけたりとかいろんな能力が上がったりとかやるとどうしても子供たちにいろんなことを習わせたかったりとかしちゃってすごく時間がすごく時間がなくなっちゃったりとかありますよねえ。 でぇそれもぉまあ僕の場合は社会とか経済とかのあり方とかもそもそも金融のお金のあり方、ねえーこんだけぇ上の方に上がっていかなきゃくえ、苦しいのはぁこれ0歳向けのゲームなんで今の金融システムっていうのはぁその上の方に上がれないとぉ逆にこうしたの方、上下っていやですけどねえこれあくまでもお金の話だけですよ、お金をどんだけ稼ぐかってだけの話でえ、えーそうじゃない人たちがぁすごくこうあの苦しくなるっていう状況がある中で、ね自分の子でもにはそんなに苦しい思いはしてほしくないし、っていう気持ちがあるからぁ競争で勝たせたいと思っちゃうんですけどそこの金融システムそのものがぁ例えば変わってえーそんなにこう稼がなくてもぉえー割ともう幸せな人生が遅れるようなーそんな金融システムになったらちょっとそれもね、緩和するかもしれないし、うん、いろんなものがこ、複合け、複合的に作用してるんでねこれもだから単純な物でもないんですよ、一番原因になっているおっきな仕組みとしして金融システム、お金の発行の仕組みを変えたいってことをやってますけどこれ変えればすべて万事解決てわけでもなくてーこれを変えるとこっちも変わってくるしこっちも変わってくるっていろんなその変化が波及してくるんですよ、でー普段そこまでの話はたぶんあまりしてないんですあまりね、あのー、本ではある程度は書いてはいるんだと思うんですけど、あのーそれはそのそこまで全部をしていてもぉあのーすごく話が長くなるしーただでさえ長いのに、な、な長くなるしーそこまでこー理解が及ばないこともあるんじゃないですか?そんなことうわーって話してもぉ、ワケわかんなくなっちゃうんでぇこの話は普段してないですけどぉ、僕の頭の中にはあその金融システムをこう、こういう風にいじることによってぇここにはこういう風に波及していくだろうしーまあそれが金利とか為替とかあとそのー土地の問題もそうだしーそうするとまああのーなんでしょうえーたぶん人のーいろんな生き方だったりとかってこともぜんぜん変わって、あっちこっちたぶん波及して、すごく複雑な変化が起きると思うんですね、だから〜まあそれもそのーある程度使い分けはしてます、えー単純に伝えないと伝えられない時にはーそのー伝え方をするけどぉでもやっぱりすごく複雑ーです、だと思います。

 

 うん、そう、だから〜そうですねーそこらへんの伝え方もーえー難しいと思いながらー日々努力しながらやってます、えーあんまりその単純化した伝え方、ま、単純化したつた、伝え方も必要なんですよ、例えば格差だったりと貧困とかそのーま、その競争社会とかっていうのも〜っこれ概念化なんですよ、が、概念化することによって伝わりやすくしてるんですよね、でもその競争社会ってなんなのかって、ねあのー我々そもそも言葉の概念ってゆうのも、すごく割とー同じ認識やってる思ってますけどー人によってその受け取り方が違ったりするしい、あのーじゃ、競争社会、格差ってなんなのってあのー、数字で言うとどのぐらいのそのーなんでしょう所得の格差があると格差だだとかって、ねえーあとーそのー競争社会ってどういうことなの?って本当にそれも細かくぅ性格に定義しようと思うと、もっとこう細かい説明が必要になったりするじゃないですか、だからそんなことをやってる暇がない時っていうかそんなことでは伝わらない時は単純化した喋り方もしますけど、あのーよりこうあのー複雑な状況も、ちゃんとこう考えなきゃいけない少なくともこうあることを認識してなきゃいけないしどんどん学んでいかなきゃいけないし、いろんな複雑なことがぁたぶん絡み合って今の世の中って起きているのでぇあのーそれもたぶん知らないことだらけなんですよね、僕なんかもそうだしぃたぶんみんなもそうだと思うんですよ、でーなにがどういうふうに作用して今のこの状態ができてるかってのはすごくこれ難しい、いーことなんで、で、その中で政治家ってなにをやるかというとー僕の場合ねお金の発行の仕組みはこうなって、こういうふうにこういうふうに繋がってあのーそれがこういう影響を及ぼすだろうなこういう影響を及ぼしているんだろうな、こういう原因にもなっているんだろうな、ってことを想像力を働かせながらーいろいろつなげて考えていくんですね、その中でぇなにをいじったら一番効果的にぃこの今の状態、えーこれ今の状態ってのもーあのーこれは言葉で言うとねえー格差が広がってる状態だったりとかぁ多くの人たちがぁま、まあ多くの人たちがそ、その生きたいようになかなか生きづらいような世の中ってこれもすごく単純化したぁ言葉の定義で話してます、でこれぇもちろんねえ多くの人ったってえたぶん日本だけで1億3000万以上いるわけでしょ、でその人たちの一人一人がどういう状態かなんてわかんないワケですよ、で、それも概念化とか単純化の話ですですね、ある程度その単純化、概念化でもぉその複雑性をある程度理解することによってぇえーっとあとその相関関係をね勉強したりとかぁその想像力を使うことによってここを変えたらこう言う状態が治るかもしれないとかぁあのーそんなことすらぁほとんど実は今まではなんでしょう、まあ、今までの政治家のことをねあまりこう言ってもあんまりしょうがないのかもしれなのですけど、例えばデフレっていうね、一個の現象を解決するのにすら、20年、にじゅう、20年以上ね、全くできない理由なんですよね、あのーふっ、そりれはからその社会のどこの、どこをいじったらぁそれが解決するかっていうその糸口さえつかめないまま20数年間経ってるんですね。 

 それってやっぱりーどういうふうに繋がってるかっていうことを、考えて、えっとー本質的にーそれを捉えていってーでーその相関関係をこう、まあ複雑な相関関係を学ぶことによってここにその鍵が、レバーがあるよねっていうことをやってかないといけないのが政治家でぇ、あのーなんでしょう問題って、うーん、問題ってこれもまたすごく難しいじゃないですか、そのえーっと、問題がある、えっとぉ格差の問題、貧困の問題えーこれもなんかその言葉でいうとなんとなく分かったような気ぃしますけどぉ、あのー格、差、っていうことはほんとどういう、より正確にいうとどういう状態なのかとか、貧困ってどういう、どういう状態なのかとかどれくらいの割合の人たちが所得どれくらい以下だとぉどうなのか、とかぁ、で、じゃそしたらその人たちを上げるためにはなにが必要なのかとかぁ、なんかすごくやっぱ複雑なんですよぉ、で、それ、それをこう理解した上でま、言葉も使わないといけないし、で、もちろん政策も考えなきゃいけない、っていうねあのー、、、まあそうですねうん、あのーう、うー、な、な、なんつーんすかねあのー難しい、難しい言ってもしょうがないんでけど、なんかできればちょっと少しこう考える幅を広げてこれはどういうことなんだろう、とかえーこの意味はって、割と我々、我々は無自覚に言葉を乱暴に扱ってるんですね、僕もそうですよあのー僕もぜんぜんやれ、やっっちゃいますよ結構割と単純な言葉を使って話しちゃうこともあるしーでーそれがーこううまく伝わらないこともやっぱりありますしーあります、でもこれは実際はどういうことなんだろうとかっていうこともうちょっとこうなんか深くいろんな角度から見ることによってなんかその言葉の雑さをちょっとこう是正する、、ことによって伝わり方がまず違ったりとかぁ自分の思考も深まっていったりとかするのでぇ本来だとそういうことをするぅそういう学びをするのが学校であってほしいなというねまた元戻りましたけど。(笑顔)

 

 そんな話でしたね今日はね。

 うん、という話ですね、なんの、コメントはなんの話をしてんのかな、、、あぁ貧困言葉じゃなくて経験で初めて理解できる、まあそうかもしれないですねぇ〜うんちょっと話がくどいんだ〜って切ってくれて結構ですよ。ははははっはいぜんぜん構わないですよ〜はい、くどいと思ったら聞かなくて結構。

 

 え〜とね、ま格差の話ね、うーーんあのーやっぱりデフレの原因、デフレってやっぱりおっきいのは僕はその所得のこうあのー所得のなに、配分の歪さというかあのーあまりごく一部の人たちの所にそのー集中しすぎというかマネーストックお金自体はほんとにずっと増え続けてるんだけどそれが動いてないっていうのはやっぱり本来使うべき人のところにはいかないんだろうな、と、それはやっぱ今の金融システムが借金金融システムなんで、あのー利息っていう膨大な不労所得不労所得が発生していて特に銀行とかそういったところに集中してくんですよ、あのー銀行てとこは何にもないとこから数字でお金書いて勝手に作ってそこに利息をかけてるので、でーもちろん政府にもあのーそのお利息をかけて政府から利息を得てるっていう、でぇ結局その銀行が儲けた物がどこへいくかっていうと、ほとんどの人の手元にはいきませんよね、そのごく一部の株主とか、だから多くの人の手元に、ほんとにお金を使わなければいけない人たちのところにいかない、でーこれほんとに悲劇的なのはお金がいかないことによってお金がないから活動ができないえー例えば子供たちの教育に、も十分に使えないえーそうすると本来はそれがあればってそもそも金なんてどうだっていいんだけどね、そのー子供たちが学んで動いて、人々が動けば新しい価値がどんどん生まれる、もっと可能性が広まって、広がってるのにも関わらず、そのたかだか数字の金がないっていうことのためにあのぉ多くの子供たちの大事な時間が浪費されるってこれほんとにおっきな問題で、あのーまあコロナの件、コロナの件もねその、この都知事選、都知事選終わったらいろんな話をどんどんまたしていきたいかなと思ってるんですけど、それも今学校が多くの子供達の時間を浪費してますよね、おそらく浪費っていうかほんとにもっといろんなことができる、あのーもっと時間を有効に使って今しかできないことがいっぱい有るのにも関わらずそれをやらせない、これ本当にそんだけのあのー意味があるのっていうことは真剣に考えなきゃい毛ないと思うしーあのこのまま行っちゃうとあのーこのままもしかして学校教育とかー我々の生活のあり方がーこれからねこういうウィルスみたいなものがーいくらでも出てくる可能性がある中でー我々はずーっと死に怯えてそのある生を精一杯生きることなく長生きすることだけにその時間を使っていくのかっていう、これほんと哲学的な死生観の問題でもあるし、そこを我々もう一回考えていかなきゃいけない時期だと思うんでその話はまたね都知事選の後にしたいと思いますけど。

 

 学校でクラスターが起きている、うん、じゃ、クラスター起きちゃいけないの?このコロナっていうのはこれ本当に怖いもんなのかっていう話です、まずはそれ以前にねクラスター起こしちゃいけない〜感染広げちゃいけないって前提で全部やってますけど、そこ考え直してもいいんじゃないかなあと僕思ってますけども。

 

  あのこないだから一月万冊、一月万冊って読むのこれ?あのー、のチャンネルのことがちょいちょいいやその下から出てるって話だけども、いや見るんですけどまああれですね。そこら辺はどうでしょう、そ、そのー方存じ上げないんでもしなんか話があれば考えたいと思います。

 うん、高齢者は怖いんすか?高齢者は逆にーあれですよ、もうそんな長くないじゃないですか、これもだからどこまで長生きしたいのかって話、これぇまあまたね講演会では結構ハードな話しますけどぉ、あのぉぉぉぉ...。

 

 

 うんまああれですよね、リスクは常にあるし、あのーまあ死ぬ原因はいくらでもあるのでぇーうーんそれをどう考えるかですね。

 

 高齢者は死んでいいのか、高齢者はーえっとー高齢者は死ぬ確率は高いしーそもそもね、えっとーその話しましょうか、えっとーどこまで高齢者を長生きさせるのかってのは我々真剣に考える必要があると思いますよ、あのーなんでかっていうとそのまあ今ーそのー介護の部分でも医療の分野でもそのこれだけ人口の比率がーえーおかしくなってる状況の中でーあのー特に上の方の世代があまりにも多くなっている状況で、その高齢者をちょっ、もうとにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていうそういう政策をとってるとこれ、多くのこれお金の話じゃなくて、あのーもちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけれど、これ、わ、こど、若者たちの時間の使い方の問題になってきます、どこまでその高齢者をまあちょっとでも長生きさせるために子供、子供たちの、若者たちの時間を使うのかってことはあのー真剣に議論する必要があると思います、ま、こういう話たぶん政治家こわくてできないと思うんすよ、命の選別すんのかと言われるでしょ、命、選別しないとダメだと思いますよ、あのーはっきり言いますけどーだってその選択が政治なんですよ、あのー選択しないでみんなにこういいこと言っていてもーたぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ、だからそう言ったことも含めてーあのー順番としてこれ順番としてぇえっとーその選択するんであればえっとーもちろんそのー高齢の方から逝ってもらうしかないです【驚愕】

 うんそうなんすよだからねこれ死生観の話になると思いますよ、あのーいつまで我々はひたすら長生きさせるためにどれだけその、自分たちの労力とか時間を使うのかって話はえ〜とみん名が考える必要があるしみんながいつ、必ず死ぬということを覚悟する必要があるし、えー〜〜そこはもう避けては通れないと思いますよ。

 

 うんだからこういうだからなんでしょうほんとに歯に着せずに言うやつってのは、まあねえー批判を受けるしなんだかんだ言われるんですけどーなんかこれなんか日本人的な感覚僕ぜんぜんないんすはっきり言ってあのーそういった意味で言うと、なんかこうそういうこと言ったら誰がどう、なんかどう思われるかとかどんな気持ちがするかとかあのーそんなことぜんぜん考えてないです、あのーそれはそう、そういうふうに考えるしかないんじゃないのーってのはあのーそのまんま、ですね僕は。

 

 

 んん、もう超ほんとに合理主義ちっちゃい合理主義そう言う意味で言うとね。

 

 

 

 んーとー高齢者自身の選択〜高齢者自身の選択〜ま、そのもちろんそれぞれの選択はあるんですけど、あのーそれぞれの選択〜っていうかやっぱシステム的に変えるひつ、システム的っていうか例えばうーんとー本人だけの選択ーーではなくて社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか、そのーベッドをどれだけ用意する〜ベッドをどういうふにその例えば数が、もうとにかく全員になにがあっても足りるようなベッド数を保つっていうことははえ〜とそれをなんていうかなそれをケアするためのたぶん膨大な若者が必要だったりしてーこれまたどこまでやればいいって話ではなくてどっかであのーある程度そのーええー線、あのー数とかねそこら辺は選択する必要がありますよね、で、それも冷徹にやっぱりやらなきゃダメだと思いますよ、あのーなんかすごいね情緒的なんですよこの国は言わせてもらうと、感情的だし情緒的だし、でもそんなもんで物事たぶん決めていけないと思いますそれだけだと、っていうふに思います。

 

 ふーん、いいですけどねそれぞれ考えがあって、でも僕はそういう政治家になるとおもいますよ。結構冷徹にあのいろんなこと判断していく、んでその、それを考えることを要求すると思いますだから情緒とか感情とかじゃなくて、いやそうじゃなくてあのー気持ちはわかるけどそのー気落ちだけで全部解決するわけではないのでー。

 でー結構割となんか過去において我々ってなんかそういう情緒的判断とか感情的にとかなんかその頑張ってる人がいるからそんなこと言うなとか(笑)ははっあとなんでしょうあと一生懸命やってんだからどう、どうとかだあそんなんでぇなんか割とこうあのーこう割と戦争があんだけ長引いたのもなんかそんなような合理的な判断ができなかったからじゃないでしょうかね?思いますけど。

 

  

 

 うんまあねあのー寿命もしかしたらそうね、仰るとおり縮むかもしれませんね、我々の世代にはねなんか食べてるものがだいぶ違うような気がしますからね。

 

 

 

 

  うんあのーまあそんなやつですって僕も包み隠すつもりも無いので、はは(笑い)言っちゃいますけど、それでえらえらん、それでえ、選ばれなければそれはそれまで、あのーかなりそういった意味で言うとなんかあまり僕はかなり日本人的では無いのかもしれません、えー〜ーおそらくなんかそいうちょっと情緒的なところはあんまりないっすねあんまり全く無いですね。

 

 

 

 ああー命のそうね命のためと言いながら個人の尊厳を奪っていることが多いように見えるってのは僕もそんなような気がしますね、うん難しいそお、ほんと難しい問題なんですけど、難しい問題を我々こう正面切って考える必要ありますよね。って考えることを僕は、考えてもらうための発信はたぶんあの、すると思います。結局最終的に皆さんにやって決めていただく必要がある。ですよね僕が決める、んじゃないです、僕はこう思いますよって、どう思いますかっていうあくまでこれ投げかけなので、で、その結果、あのーとにかく長生きが一番っていう人たちが大勢だったらそういうふうになるんでしょう。たぶんそういうふう、人たちが大勢だったら僕は選ばれないのかもしれませんけどぉ、まあそれはそれうっあーあのー僕の考え、それぞれの考えがあっていいというね、、、ですね。うん。

 

 はい、ということで、えーまあそろそろお時間でございます。で、また最後ね、言いたい放題言ってしまいました。大丈夫でしょうかwということでこの辺で終わります、えー皆さんありがとうございました、おやすみなさい。良い子の皆さんおやすみなさい。

 

 

  ・文字起こし大体完了!誤字脱字不具合等ありましたらブコメで指摘していただければ幸いです。

  【雑感】 

  くだんの発言が入った動画の文字起こししました、現在話題沸騰中の安楽死問題に関わることもあったので個人的には文字起こししてよかったです。長文になると衝撃度が若干弱まるように感じました。

くだんの発言とはこちらです

 あと安楽死について炎上させているのが下記維新、自民党系の議員さんたちです。

                   【完】